黄色いPANSY

昔、母の機嫌を伺って過ごしていました。

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私が小学生くらいの頃、母に対してとても気を使っていた。

いつも母の顔色を伺って、機嫌を損ねないように必死だった。





その頃はまだ祖父母がいて、家庭内の権力は両親より祖父母の方が強かったんだよね。

母は、何かあるごとに祖母から嫌味を言われていたみたい。

朝から夕方まで働いて、家に帰ってきたら祖父母の口に合うよう工夫した晩御飯を作り、その他家事を毎日こなしてた。

ただでさえ嫁入りで気を使いながらの生活なのに、それにプラス家事やら子育てやら。
自分の好きにできるわけでもなくて、やり方は細かく決められている。
それができていないとなればまた責められてた。

休みの日もダラダラして過ごすことも許されていなかったっぽい。

祖父母はかなり真面目な性格だったから、生活習慣にはとってもこだわっていた。






そんな毎日だから、きっと母はストレスが溜まっていたんだろう。
これだけ自由の無い生活をしていたら無理もないと思う。


母のそのやり場のない感情をぶつける先は、私だった。


私がピアノの習い事をしていたので、その練習をしていると、
「うるさい!!寝れない!!」
と一喝。
唯一祖母の居ない時間に昼寝をしようとしていたらしく、タイミング悪く私が練習を始めたことで邪魔をしてしまった。
私は練習をするタイミングがわからなくなってしまい、家で練習をすることはほとんどなくなった。


「また怒られたらどうしよう。」
とにかくそれだけが怖かった。




母が食後の洗い物をしているときに私がテレビを見ていると、ものすごい形相で睨まれた。
祖父母が気づかないよう、その奥から。
怖くて怖くてたまらなかった。

祖父母がいない時は基本的に不機嫌だったので、ことあるごとに嫌味を言われたり、ひどい時には殴られることもあった。




私は
「私が悪い子だから、母は私に当たってくるんだ」
と思っていた。

じゃあいい子になろうと、なんでもやった。
家事、勉強、下の兄弟の面倒を見る。

でも全く解決しなかったんだ。


今思えば、あの頃の私の性格的に当たりやすかったのかな。

言うことはなんでも聞いて反抗はしなかった。
言いたいことは察して動くようにしていた。
絶対にワガママなんか言わずに、甘えたりもしなかった。


兄は結構マイペースで、親に向かうこともできたから私とは真逆な性格。





それでもたまに、すっごく優しい時があったんだ。

「今日の晩御飯何が食べたい♪?」
なんて笑顔で聞いてくれるだけで「今日は安心」だと思ってた。

ひどく怒られて、殴られたり蹴られたりした後だけは抱きしめてくれる。

その瞬間だけが嬉しかった。

自分の中で湧いてくる感情は押し殺して、一生懸命母の感情に合わせる。






あの頃は「なんで自分ばかりこんな目にあうんだろう」って思ってたよ。

でも母は、それ以上に辛い思いをしていたんだろうな。
私たちを育ててくれるために必死だったんだよね。

それに、確かに迷惑をかけることもあった。





嫌な思い出ばっかりじゃない。

父と母と兄妹と一部屋に集まってマック食べながら桃鉄してたし、家に居たくなかったからかな?遠出していろんなところに行った。
その時はやっぱりすごく優しかった。
家じゃほとんどみない、作ってない笑顔がすっごく心に残ってる。




別に母は私のことを嫌っていたわけじゃないし、そんな乱暴なことをする性格でもないんだよね。

とっても明るくて、人のことを自分のことのように考えてくれる。
なんでも自分で頑張ろうとするし、絶対に考えを曲げない。

だからどんなに辛い環境の時があっても必死に耐えて、ここまで私たち兄妹を育て上げてくれた。いろんなものから守ってくれた。




今は母に対して反抗したり、言いたいことはなんでも言える。
母もすごく丸くなって(元に戻ったのか?)穏やかで、笑顔なことが多い。
前よりはのんびり暮らせているように見える。

祖父母は亡くなっている。






昔は「今後自分はどうなるんだろう」みたいなことを漠然と考えることもあったけど、今はみんな笑って暮らせてる。

祖父母もなんだかんだ言って母と楽しそうに会話してることもあった。


あの頃もっとみんな仲良くなれる方法はなかったのかな、とも思ったこともあるけど、この経験があったから今が幸せだって思える。



自分の家庭ができたらもっと幸せにしていきたいとも思う。







今回は昨日とうって変わってしんみり話。。


最後までお読みいただきありがとうございました。